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![]() 沖縄復帰の年、一九七二年に結婚し、その年に娘が生まれましたので、娘たちの時代には世の中が変わる、という私たち夫婦の思いを託して、未来に希望……「未希」と名付けました。 平和憲法の下に復帰したいと県民が願った理由の一つに、米軍軍属の起こす事件や事故に沖縄県民の人権の視点がまったく無視されていたことがありました。例えば青信号の横断歩道を渡っていて、米軍車輌が進入し交通事故に遭って死亡する。あきらかに相手が悪くても軍法会議でアメリカに送ると決定され、その後の実刑は何もわからない。もしくは太陽に向かって運転していたので信号の色が見えなかった、と言えば裁判もなく無罪放免です。県民のいのちが危険な状況にさらされている時代でした。でも復帰後、現状はよくなるどころか先ごろの2プラス2(日米外務・防衛担当閣僚会議)の結果を見ても、ますます厳しいものがあります。沖縄はいつでも切り捨てられ、「捨て石」作戦は、戦争中も復帰前も戦後六十六年たっても何も変わっていません。県民のいのちはなんなのだろう、とつくづく感じさせられる毎日です。 夫は沖縄タイムスの新聞記者として働きながら青年部で組合活動をしていました。キャンプハンセンという広大な米軍の基地で、県道一〇四号線を越えての実弾射撃演習、米軍は核を撃ち込めるほどの威力ある実弾を使っての演習を行っていました。七三年から反対運動が始まり、夫たちはその喜瀬武原(きせんばる)の山に一発たりとも砲弾を撃ち込ませないために七六年、山に潜入し、白煙をたいて人がいるから撃ち込むな、と体をはって演習阻止闘争をしました。しかし米軍の基地に許可なく入ってはいけない、という日本の法律、刑事特別法違反で逮捕され、七年間、裁判闘争を続けました。喜瀬武原は自然が非常に豊かなところでしたが、今は山肌が傷つき、山火事も多く、不発弾もたくさんありますし、弾が名護あたりまで飛んでいったり、間に位置する小学校や高速道路に落ちたりしているのです。 逮捕された夫は労組グループ四人の中で最初に逮捕されたので刑特法被告第一号と言われましたが、沖縄県労協の方々が県民大会や集会を開き、その中で生まれた歌、海勢頭豊(うみせどゆたか)さんの「キセンバル」は平和運動の象徴でした。私は夫の裁判を支えながら、平和運動の現場に出たりして、私たち夫婦は平和のための同志でもありました。 夫は裁判闘争を含めて県民に知られるようになり、選挙に出るように何度も声がかかりましたが、新聞記者としてペンを持って生きていきたいと言い続け、九二年に私に声がかかり、大田知事の平和行政をバックアップする意味でも、また県民に殉国美談で沖縄戦を語るのではなく、きちんと検証して伝えなければという思いと、朝鮮、台湾をはじめアジアの国々やオランダの女性たちを、日本の軍隊が戦場に従軍慰安婦というかたちで狩り出してきたことに対して謝罪することも含めて、平和ガイドとして培ってきたことを県議会で生かす、ということで九四年に選挙に出ました。夫は、私の節目、節目にきちんとアドバイスをし、それは今日まで続いています。 ただ沖縄知事選挙出馬だけは夫は反対でした。私には参議院の任期が残っていましたし、いきなり県知事選挙出馬依頼があり、二か月しか期間が残っておらず、有権者との話し合いもできない状況でしたから、私も断り、家族も反対でした。ただタイムリミットで夫も私も悩み、沖縄の基地問題、普天間基地を県内移設させないためにも決意したいと夫に伝えました。どうしても避けられないと分かったとき、夫は私になんの相談もなく社長に辞表を提出しました。背水の陣で選挙運動する方たちを前に、自分だけ安全なポストを確保して闘うことはできない、やるなら一緒に飛び込むしかないと。私は非常にショックで一晩中泣いてしまいました。 私は三人の子どもを育てながら仕事をずっと続けてきましたし、夫は記者職で二人とも忙しいものですから、子どもが生まれたときから、役割分担を決めたわけではなく、お風呂に入れたり、食事を作るのは手があいてる人がやるということでここまで来ました。こだわったのは食です。親ができることは、着るものをきちんと整えること、食事をちゃんとさせること、睡眠をとらせること。この三つを夫婦でやってきました。夫は料理もとても上手で好きなので、子どもたちは三人とも健康です。長女は小学校から高等学校まで皆勤賞をもらいました。英検が二級まで取れたら留学する、というのを、そうだね、と聞き流していたら、三人とも高校時代にアメリカに留学し、今はそれぞれ結婚して、夫は孫育てで娘たちをサポートしています。 沖縄は子どもたちへの視点が欠けていて児童福祉の観点からは本土と非常な格差があります。沖縄の未来を考えると、置き去りにされている子どもたちの問題が負の連鎖反応を起こしていて、これ以上子どもたちの教育環境の悪化を招くようなことはしたくありません。子どもたちの未来を考えたら、基地をなくしたいですし、沖縄の素晴らしい自然をきちんと守りたい。世界自然遺産に沖縄の自然を登録させていくことこそが大事じゃないかと思います。戦争で沖縄の自然はずいぶん破壊されましたが、せっかく残った山の緑を、米軍は弾を打ち込んで木が生えそろってきたらまた燃やすようなことをする。沖縄のすばらしい海や自然や文化をいろんなかたちで伝えることが夫と私の活動で、それを子どもたちにきちんと伝えたいと思っています。 娘の名前に「未来に希望を」とつけても、今もまだ変わらないという状況に、とても悔しい思いがします。ですけど、希望を捨ててしまうと、そこで終わりです。聖書の言葉にもあるように、一粒の芥子種でもあるのとないのでは全然違います。最後の一人になっても平和憲法をしっかり守っていくという思いを持って子育てもしてきましたが、夫婦の絆もそこにあると思います。 家庭がまず核になり平和で子どもたちが幸せであること。小さく言えば家ですが、家の集合体が地域社会のコミュニティ、それが広がって一つの市になり県になって国になっていく。それを考えると、家族の絆を大事にしながら、子どもたちに、夫と私が生きてきたこと、活動の中身をしっかり証として伝え、私たちができないことは次の世代に頑張ってもらおうと思います。ですから夜寝るときに孫たちに絵本を読んでいますが、ただ読むのではなくて夫婦の視点、平和という思いを持っています。読むのは主に夫で、孫たちもおじいちゃんにせがんでいますが。 かつては闘いの闘士として裁判の先頭に立って頑張り、いまや、私を支え、孫たちの面倒をみている夫ですが、周りからは、そろそろ表に出てくるようにと言われていて、本来の闘士として頑張ってきた原点に戻って、一緒に活動しようと声をかけているところです。(談) 糸数慶子(いとかず・けいこ) 参議院議員。沖縄社会大衆党委員長。平和バスガイドの先がけ。著書『沖縄-平和への道』『沖縄戦と平和ガイド』 ※「あけぼの」(発行:聖パウロ女子修道会) 2011 年 10 月号 「特集 今、夫婦とは ?-そのかけがえのなさに気づくとき」に掲載
by itokazu-keiko
| 2011-09-14 17:20
| 報道
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