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糸数けいこの活動日誌
by itokazu-keiko
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千葉長生村で平和講演会-平和ガイドが語る沖縄戦

 
千葉長生村で平和講演会-平和ガイドが語る沖縄戦_f0150886_18545528.jpg
 10月16日(日)、千葉県長生村の「平和講演会」で「平和ガイドが語る沖縄戦」と題してお話をさせていただきました。

※長生村長・石井としおさんのホームページより
http://www9.ocn.ne.jp/~tishii/
 10月16日、午後2時より長生村文化会館2Fで平和講演会を開催しました。講師は沖縄県国会議員で平和ガイドを長く続けてきた糸数慶子さんでした。自らの実体験をもとにした沖縄戦と現在の沖縄問題を話していただきました。当日、お忙しい中、お越しくださった皆様ありがとうございました。以下、概略ですが、報告します。

 「糸数慶子氏より」
 沖縄は今、世界各国より2万人が集まり会議、集会を行なっています。沖縄県民は移民によって世界120の国に散らばって行きました。その子孫が沖縄に集まって話し合いを世界平和に向けて話し合っているのです。沖縄県民は大変な悲劇を経験しています。アメリカと日本が戦争を行ない、沖縄で地上戦を行ない、アメリカに移民して行った人はアメリカ兵として日本の軍隊と戦ったのです。なんと悲劇なことでした。
 私は社会にでてバスガイドで働きました。最初は「沖縄で犠牲になった方方はお国の為に死んで行ったのです」と説明していましたら、ひめゆりの塔の前で私の説明を聞いていた生存者から「貴方の説明は上手です。しかし実体験がない」と言われました。私の母が亡くなった後で母のことを親族から聞くことがありました。戦争中、母は読谷村から名護市に疎開し二人の子供を食糧不足で死なせました。死んだ子供をおんぶし山に入りました。叔母と長女が探し出し亡くなった長男を墓に埋めました。その墓を母は掘り出し長男を生き戻そうとしたのです。そういう話をするように変わっていきました。沖縄戦ではアメリカ軍が60万人、日本軍は10万人でした。最初に上陸したのが読谷村であり無血上陸でした。私は本当のことを話すようになりました。日本国民を守るはずの日本軍は食料確保のために波照間島の島民を西表島に追い出していくのです。そこでマラリアになって死んで行くのでした。日本軍は島に残されたブタ、牛などの食料を確保していくのです。また、朝鮮の方方も日本に強制連行され、強制労働をされ一日一食です。夜に畑の食料を盗み食べるのです。農家は憲兵に通告し銃殺していくのです。また、一日50人もの日本軍兵士を相手に慰安婦をさせられました。日本は正式に韓国に謝罪し賠償金を払うべきです。自民党も民主党もやってくれないのです。
 戦後でいいますと、アメリカ軍が沖縄に駐留してから数々の犯罪が正当化されてきました。今年の1月、私の友人の子供さんは成人式に参加するために名古屋から沖縄に戻りました。成人式の後で友人と食事に出かけるため、国道を車で走っていた時、対向車線から米軍属の運転する車が進入し、ぶつけられ死亡したのです。日米地位協定によって、検察より「不起訴です」ということでした。日本の法律にそって裁くことができないのが沖縄の実情です。沖縄の人たちは、いまだに戦争に通じる軍事基地をかかえているのです。
 私達の運動は正しいけど少数です。チェルノブイリや福島原発事故で苦しんでいる方もいます。平和が大事です。戦後60年、平和憲法があるからこそ世界に出て行き人を殺していないのです。ドイツは戦争犯罪人を最後まで裁きました。日本ではそうではなくその後も政治の場にいます。それは私達国民が選挙で選んでいるのです。私はこれからも戦争の無い平和な国を皆さんと作っていけたらと思います。本日は長生村にお招きを頂きまして、ありがとうございました。
 以上、心に残る大切な講演でした。
千葉長生村で平和講演会-平和ガイドが語る沖縄戦_f0150886_18552180.jpg
   長生村役場前で、石井俊雄村長と握手

by itokazu-keiko | 2011-10-17 18:52 | 活動日誌
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