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![]() [MFJ 2014年音楽祭・福島 鼎談] 糸数氏 歌と踊りがエネルギー 菅野氏 村の歌「前を向く」力に 三浦氏 独自の音楽文化継続を 福島市で8日に開催されたミュージック・フロム・ジャパン(MFJ)の「 2014年音楽祭・福島」。「沖縄の唄 今・昔」をテーマに沖縄民謡などが披露された。基調講演した沖縄県選出の糸数慶子参院議員、毎年小学生が沖縄に研修旅行に行く飯舘村の菅野典雄村長、MFJの三浦尚之理事長が「沖縄の今、福島の今、そして音楽の力」をテーマに鼎談(ていだん)した。 糸数 沖縄は基地を抱えていたりさまざまな問題があり、まるで夢がない状態のようだが、そうではない。出生率は全国一。こういうものを乗り越え、若い人たちが生きることへの希望を持っている表れだと思う。沖縄の人たちは、どんな逆境にあっても、次に出てくるのは歌と踊り。歌うことや話をすること、笑うことはエネルギーになる。 三浦 沖縄には多くの島があり、それぞれが独自の文化を育み、誇りを持っている。本土で失われたものだと思う。 糸数 本土に劣等感を持っていたこともあったが、それでも守っていこうという意識、誇りを持っているのは、素晴らしい文化に裏打ちされているからだ。 三浦 飯舘村の現状はどうか。 菅野 6千の人口だったが、全員が避難生活を送ることになり3年が過ぎようとしている。はらわたが煮えくり返るほど悔しいが、愚痴を言ってもなんの解決にもならない。前を向いて行くしかない。MFJに「ときよめぐれ(までいのロンド)」という飯舘村のために作ってもらった歌があるが、これも「前を向いて行きましょう」という歌だ。村民歌も素晴らしいと思っていたが、震災後はますます素晴らしい歌だと思っている。これらをベースにして、次の世代を担う子どもたちに思いをしっかりと根付かせていきたい。 三浦 飯舘村では生涯学習の一環として毎年小学6年生の研修旅行を沖縄で行っているが。 菅野 戦争体験を聞けば、命の大切さが分かるし、海を見れば本来の海のきれいさが分かる。私自身も何度も沖縄に行ってたくさんのことを学ばせてもらった。例えば「いちゃりばちょーでー(一度会ったら皆兄弟)」。今、沖縄にかなりの人が避難しているのは、ゆったりとした暮らしがいいというのもあるが、 「いちゃりばちょーでー」という気持ちがあるんだろうなと。 三浦 作家五木寛之が幼少期、家族で朝鮮半島に渡ったとき、零下20度という過酷な場所で、彼らの支えになったのは歌だという文があった。沖縄戦で住民が避難していたガマ(洞窟)などでも歌を歌ったという話はあるのか。 糸数 ガマによっては物音一つ立てられないガマもあったが、歌によって支えられ、歌がどれだけ生きる力につながったか。戦後も、みんなで歌を歌ったりするうちに、悲しみを乗り越えるエネルギーがわき上がった。それが共有につながってくる。心の底から泣いたり笑ったりの繰り返しの中で浄化されていく。 三浦 今日はさまざまな音楽の力について話した。沖縄も飯舘村も、その音楽文化を少しずつでも継続していってほしい。 ※「福島民友」2014年2月12日16面に掲載
by itokazu-keiko
| 2014-02-12 09:50
| 報道
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